事務局だより バックナンバー
 
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第20回:「100%」 2009.3.17 べるず 記
「100%」
パカパカパッションをプレイする人なら一度は出したい最高の名誉です。
しかし、パカパカパッションシリーズの100%を出すのは至難の業。他の音楽ゲームであればある程度のタイミングのズレがあっても、ミスさえしなければ100%(フルコンボ)達成というパターンが多いようですが、パカパカパッションはひとつのミスも許されないシビアな設定になっています。このゲームでPerfect判定を出すには20分の1秒(3フレーム)と言う判定受付時間(アーケード版は秒間60フレーム)の中でボタンを押さなければなりません。これをパートにも寄りますが私の得意パート・JETマリカで755回、最多のXL Techno RemixのゲロッパZでは1,518回ものPerfectを叩き出さなければなりません。
私事ですが、私は昨年の7月17日に、パカを初めておよそ8年経って初の100%を達成できました。私の代名詞とも言える、パカパカパッションスペシャル収録曲「JET」マリカパートでありました。もちろん最初は出るなどとは思ってもおらず、終盤に差し掛かってノーミスであることに気が付き、そこからが地獄のプレッシャーとの戦いでした。最後の3枚の青を無事に叩ききって、遂に栄光を手にしたのでありました。

100%達成画像
この最初の100%に驕ることなく、翌日以降もこのパートはプレイし続けています。今年に入ってからは2月24日と3月6日にそれぞれ100%達成、また99%自体もこのコラムの更新の時点で152回になり、前年の133回を早くも塗り替えて更新中です。もちろんこれからも続けていきます。
最初は高すぎる、絶対に無理…と思っているハードルも、実際のところその高さを下げるのは自らの熱意によるところが大きいと思います。誰もが最初から上手いわけではないのです。一歩一歩進んでいき、継続的な状態を持続するだけのモチベーションが大切になってきます。自分の限界を知って、それを乗り越えられた分だけ、人間は強くなれるのだと思います。

これまで約2年半に渡ってお届けした事務局通信ですが、来月からの新年度に合わせて、マリカ飯店ブログの記事として展開致します。すでにブログも準備できておりまして、4月1日に公開致します!連載のペースはこれまでよりも上がる予定ですので、是非ご覧ください。

4月からは、ブログにてお会いしましょう。
これからもマリカ飯店を宜しくお願い申し上げます。
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第19回:「バレンタインデー」 2009.2.14 しおん 記
今月よりコラムの掲載をします、葉霧琴世ことパカHNしおんと申します。
今起きた方、おはようございます。
お仕事の方は、いってらっしゃい。
そうでない方、こんにちは。
夜の方、こんばんは。
お仕事帰りの方、おつかれさまでした。
始めましての方、そうでない方、これからよろしくお願いします。

今回初のコラム掲載ですが、お題がありましてバレンタインデーの話題を織り交ぜるようにとのことでしたので少し交えながらお話ししたいと思います。バレンタインデーは大好きな人にチョコレート等をプレゼントしながら自分の想いを伝えられるいい日だと思いますね〜。私も沢山あげた事があります、手作りはめったにしませんが・・・

べ、別にあなたの事想ってじゃないんだから、義理よ義理なんだからねっ!!

こういうこともあったりなかったりするから、バレンタインは男の子から女の子へ渡してもいいんじゃないかって思ってます。

古代ローマではルペルクスという豊穣の神のためにルペルカーリアというお祭が行われていました。毎年2月14日になると未婚の女性の名が書かれた紙がくじ箱へ入れられ、翌15日に男性に引かせ当たった女性と時には1年もの間お付き合いをさせるというものから始まり、風紀的によくないということで違うくじ方法が取られました。女性の名前ではなく、聖人の名を引かせ始めその聖人の生き方になぞらえるよう励まし、その当時、殉教されていた聖バレンティヌスを新しい祭の守護聖人とし2月14日を聖バレンタインデーとしたのが始まりとされています。
そこから次第に恋人たちが贈り物やメッセージカードを交換するようになっていきました。なので、恋人や自分の大切なお友達同士で交換し合うのがいいと思っています。女性から男性へチョコレートを送るのは日本独自の習慣なんだそうです。男性から女性への場合は習慣の問題で「えっ」と思われるかもしれないけど両想いっていうのが分かっていた場合はすごく効果あるんだろうなぁ〜って思いますね。

私のバレンタインの思い出は・・・
今は広島県在住ですが実家は静岡県にあります、遊ぶときはいつも一緒の女の子が実家の方に居ました。そのこの事が本当に大好きでねっ。今はほんとに遠くに離れてしまいましたが、バレンタインデーではいつもチョコレートやぬいぐるみとか色々なものを交換し合っていましたね〜。バレンタインデーを告白の日として使ったことは一度も無いですけどね〜。

見て下さっている方はどんなバレンタインデーの思い出がありますか?
思い出話しとかありましたら、しおんまでお便り下さいねっ。
次回のコラムにて匿名で紹介させていただきたいと思います。

パカの話題が出ていないので少しお話ししますね。
地元、福山市にパカがなくなり倉敷市に行かないと無い状況ですけどちょっとずつプレイしに行っています。自己ベストはもう出ませんけど・・・(汗)遠くても知り合ったお友達がいる限りコラムや色々頑張りたいと思います。パカ魂へ登録している以上はパカを愛し続けますわよっ^^ 応援よろしくお願いします。

お便りのお送り先はmoonlightheven★hotmail.com(★を@に)までお寄せ下さい。件名を忘れずにお願いします。ふつおたも募集しています。

では次回またお会いしましょう、さようならっ♪
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第18回:「丑年」 2009.1.17 べるず 記

 平成21年最初の更新を迎えました。改めて新年のお慶びを申し上げるものであります。
 さて、丑(うし)年でありますので、干支である「丑」にちなんだお話ひとつさせて頂きます。牛と言ってもかつての近鉄バファローズのような「猛牛」(正確には「水牛」ですが)という言葉もあれば、私たちの生活に欠かせない食品提供をしてくれる肉牛や乳牛、あるいはクローン牛というのも話題になりました。ここでは一般的な牛になぞらえてお話をいたしましょう。

 今年は、牛のように一歩一歩、着実に歩を進め、財産を築く年であると思うのです。ただしそれは「蔵の宝」より「身の宝」、「身の宝」より「心の宝」です。これは私の所属する宗門のお祖師様がしたためた「崇俊天皇御書」という書簡の一節であります。身体と心の健康を大切にして、高望みではなく、自分に合った手の届く目標、「こうしたい」という一年の計画を立て、確実に実現するようにしましょう。

 本年も皆様方のご多幸を祈念申し上げます。
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第17回:もてなし 2008.12.24 べるず 記

 弘安4(1261)年の正月のこと、私の所属する宗門のお祖師様の元に新年の供養として数多くの十字(むしもち)と菓子一籠が送られてきました。送り主は駿河の国の富士郡の重須(現在の富士宮市北山)に住む石川新兵衛の奥様です。お祖師様は早速お礼のお手紙をしたためたわけですが、その冒頭にこのような一節があります。
 「正月の一日は日のはじめ、月の始め、年のはじめ、春の始め。これをもてなす人は、月の西より東をさして満つがごとく、日の東より西にわたりて明らかなるがごとく、徳もまさり、人にも愛せられ候なり」
とお示しになりました。
 ここに言う「もてなす」とは、観待する・大切に取り扱うという意味ですので、ここで言う教示は元日を日の始め、月の始め、年の始め、春の始めとして大切に受け止め、新生の契機として新しい出発を誓者、そういう心がけのものは、月が満つるように、日が輝くように、かならず福徳も勝り、人からも愛好されるされるようになる、という趣旨になるでしょう。
 したがって私たちもこのような教示にかなうよう、新しい年の始めをことさら大事に受け止め、将来の発展に資する新生の時にしなければならないでありましょう。
 飯店事務局一同、来年もまた当会とパカ界全体の護持と増進、さらには発展のために諸方面の充実を計って当会の新生に努めてまいる所存でございますので、なお一層のお力添えを願い上げます。
 よいお年をお迎えください。
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第16回:シルバー大会 2008.11.22 べるず 記
アーケード版のパカパカパッションスペシャルには、1週間だけプレイできる「大会モード」があります。店によって発動時期はまちまちですが、「MCビルインターネット事業部」(管理人:RAK様)には全国のパカラー様の協力の下、どの店でどの大会モードが発動しているかが、一目でわかるようになっています。また、プレイステーション版では任意でいつでも選ぶことが出来、その種類も増えております。
 おおむねパカラー様には「キャラ大会」が一番人気のようです。1人プレイでは選べない「PRIVATE SERVISE Remix」をプレイできる(一部のキャラ除く)のが魅力なのでしょう。私もキャラ大会は好きですが、それ以上に最近熱中しているのが「シルバー大会」であります。
 プレイステーション版のシルバー大会は、単にチップ色が無くなる(印は残っている)だけなので初心者向けになっておりますが、アーケード版のシルバー大会は完全なる暗譜モード。チップ色も印も無くなってしまうので、まさに超上級者の大会モードと言えるでしょう。特に先に「カラー大会」で遊んだ方は、似たようなものかとの先入観で「シルバー大会」を選んで、文字通り痛い目を見たという方も多いのではないでしょうか。かく言う私も、そのひとりでありました。
 初めてシルバー大会で遊んだのは、当時出入りしていたキャッツアイ清田店でした。その時に選んだパートは、「Navigator Remix」のコークでした。その頃の1曲目によく選んでいたのでできるだろうと甘い気持ちで挑んだのですが…プレイしてみるとmissの連発。いざプレイしてみるとまったく色を覚えていなかったのです。あえなくSTOPしてしまったのでありました。
 それからしばらくはプレイしていなかったのですが、あるきっかけで再度プレイする機会がありました。その時に選んだのは前半・中盤・後半に同じ部分がある「FLOATED CALM Remix」のマリカ。この部分だけでクリアできたのであります。2曲目には「JET」ゲロッパ、3曲目は「XL Techno Remix」。これもまた同じ色が続いたり、覚えやすい配列であったことが幸いしました。今では「JET」マリカで99%も出せるようになりましたが、その為にはこうした下積みがあってのことだと思います。すべての始まりはあの「Navigator Remix」コークのSTOPからでありました。
 新しいことに挑むのは、とても勇気のいることです。しかし、臆せずにその一歩を踏み出すことが大切なのです。そこから、あらゆることの活路を見いだせるものだと思います。
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第15回:10.19 2008.10.19 べるず 記
20年前の皆様は、何をされていたでしょうか?
当時小学生だった私は、プロ野球のある試合に釘付けになっておりました。それが現在「10.19」と呼ばれる(「10.19決戦」とも称す)伝説のダブルヘッダー(1日に2試合行うこと)です。今日ではドーム球場の普及やプレーオフ(クライマックスシリーズ)の導入などでこのようなドラマチックな出来事が起こる可能性は極めて低くなりました。それだけに、この「10.19」の印象は今でも語り継がれるのです。
当時、パシフィックリーグでは優勝争いがもつれにもつれ、首位の西武ライオンズが先に全日程を終了。しかし試合数の関係でマジックが点灯したのは2位の近鉄バファローズ。近鉄は1敗もできない極限の状態で、10月19日の運命の日を迎えます。この日はロッテオリオンズと川崎球場でのダブルヘッダーでした。引き分けすら許されない上に当時のルールでは1試合目は延長戦なし、2試合目は4時間を経過するとそのイニングで打ち切りというルールが決まっていたため、1試合目こそ9回表2アウトから勝ち越して勝利(ちなみに決勝打を放ったのは現在の日本ハムの監督である梨田氏)。執念を見せた近鉄でしたが、2試合目が延長戦となってしまい、無情にも4時間が経過してしまい引き分けが確定してしまい、勝率わずか2厘差で優勝を逃してしまいました。この日、試合のなかった西武ライオンズの選手やファンは西武球場で待機しておりました。3者3様、当事者は近鉄、西武、ロッテの選手だけではなくファン・マスコミや周囲をも該当します。すべてを巻き込んだ伝説の一日は、この日を「当事者」として過ごした人の記憶から決して薄れることはありません。
あれから20年が経過しました。私は当時と変わらず、西武ファンであります。

20年後、私はパカラーとしていられるのかどうか…
そんなことを「10.19」から思いを巡らさせたのであります。
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第14回:考察 2008.9.25 しおん 記
※この文章は以前別所に掲載したものを、転載させていただいたものです。2008年6月8日に行われたパカオンリー2に関する、私の考察を記した内容となっております。

今回のオンリーから出た錆

各人のパカパカパッションへの思いはどこにあるの?

何がしたいのか微塵も感じられなかった

会場に行って私はショックを受けた

来場者からお金取ってるのだから、それなりのおもてなしがあるものと思っていた

前回のイベントで学習しているはずと思っていた私が間違いだった

サークルメンバーは言うなれば早目に会場入りして準備や各人と多く交流できる権利をチケットという形で買っている

オフ会なら良かったのですが・・・

客観視して会場の雰囲気や色々な方面で考えてみた

どうも各個独立そんな風に思っていないと思うでしょうけど他を寄せ付けない雰囲気が随所で出ていましたね

会場借り切ってイベントとして名打って運営されている事を盾に周りが少し見えなくなってはいなかったでしょうか?

管理ばかりが目に付き楽しませようという心構えがなかったように思えます

大会の進行はあれで良かったと思います

が、しかし

他の方面の事を相殺できる力はなかったですね

私が思うに

パカ・ぱるのみのイベントでしょ?

他の物は関係ないんじゃない?

事が収まりましたのでここで述べさせていただきますが主催者が許したからと言って何してもいいなんて甘いです

社会人なら社会人らしく節度を守って欲しかった

学生じゃないんだから

学生は学生らしく凛とした対応と古株さんや新参者さんの架け橋になるくらい率先して動くというくらいの心構えがない限りパカパカパッション業界やぱるメロ!業界を盛り上げていく事は到底無理なお話しです

色々回ってみたけど派閥が随所に多数存在することが良く分かったし

それから運営者陣営さん

地方から来た人達をもっと大事にして下さい

高い交通費払って楽しみにしながら会場に行っている人の身になって考えてください

単なる運営者さんの自己満足に付き合わされている感がものすごく大きく感じられました

関東のパカ存続率は地方の倍を超えてるんだよ?

だからあって当たり前

物量や人口が違いすぎるのですから

当たり前と思ってると同じ失敗繰り返します断言しますが次も形は違うものになると思うけれど同じ過ちを犯します

地方の人でパカのない県もあるその中から来場してる方も居るかもしれないって考えた事がありますか?

イベントは皆で作り上げていくものですよね?

派閥はあってはならないしそれを防ぐ意味でも全員に名札の配布も必要です

大会がメインかもしれない(運営者側の思いでは)それは間違った見解です

メインはパカパカパッションとぱるメロ!ですよね?

大会成功=イベント成功にはなりえません

不平不満や叩きや晒しではなくどの掲示板やどのスレを見てもみんなから(1所ではダメです)ありがとうの気持ちや言葉が出てきたときに初めて成功という第一歩目を踏み出したことになります

そしてまた開いてくださいと多所から言われた時に完全な成功になり得るのです

あの運営方法では正直言って

新参者さんは訳分かんないと思います

グダグダ言っても過ぎてしまったものはしょうがない(しょうがないで片付ける事はできないけれど)

結論からすると

オフ会としては成功したかもしれない

しかしイベントとしては完全に失敗です

後イベントというものは惜しみないプレゼントとおもてなしをしなければ楽しんでもらえないし参加者さんの意欲も出ない

元スタッフさんからもらったものを全部放出しないってイベントに対しての冒涜と心得よ

残さないのが絶対鉄則

これが出来ないようではお話しになりません1から出直して下さい

在庫として残ったのとは訳違う!!

2ちゃんのスレが荒れて色々あったけれど

自分の信念が固ければ心揺らぐことはないでしょ?

揺れて何かアクション起こす事はまだ情熱や思いが弱い証拠

迷いや色々抱え込みすぎではないですか?

優先すべきものを優先しましょう

会場に来る人達は本当に好きだから予定があって時間が取れるようならどんなことをしてでも来るんですよ

極論だけど

主催者さんやサークルメンバーさんが錆出したら本当に好きかどうかも疑われますよ?

この先パカやぱるを存続させていきたいなら各人性根据えていかないとすぐに崩壊します

古株さんで去っていった人は余程の事ない限り戻ってこないからさ

おそらく古株さんで地方に住んでいる人はおそらくニュアンスは違うと思うけれど私と同じような思いを感じると思います

最後に一言

これは説教でもなんでもありません

今現在活動中のパカラーさんでも私の歳より上な人はそうそう居ないと思われます

単なるお遊びでパカのみですが3万5千キロ以上の遠征をしてきたわけではありません

地方や首都圏のパカに対する考え方やあり方を自分の足で見て回ってきた実体験を元にこの文章は書かれています

自慢でもなんでもなく新参者さんや一見さんの立場になって書かせてもらいました

これを参考にするも素通りするもその人次第

ですが、素通りして聞く耳持たなければそれ相応の遅かれ早かれしっぺ返しは来ます

それだけは忠告しておきます

厳しいようですがこれが私の感じたことです

<余談>
あえて名指しします事をご了承下さい
パカ話なんでも板ですが一旦閉じて新しくリニューアルすることをオススメします
過去スレはMCビルからリンクするのが賢明かと思います
それか1000レスいったスレですが前回のスレのみ残して後は全部倉庫へ移動させて下さい
今現状だと
北海道・東北・関東甲信越(これひとまとめ)・東海・近畿・中国・四国・九州沖縄の各スレと雑談スレ・大会実況用スレ・他ゲームを語ろうスレ

これだけあれば事足りますよね?

ピンポイント(1箇所のゲーセンのみとか)のスレは正直必要ないです
今考えるとアホかって思います

後は捨てハンはダメっていうの撤廃した方がいいですよ

余談ですので聞くなり実行するなり聞かないなりして下さい

この場を借りて意見させていただきました

それでは今後のパカラー&ぱるラーさんのご武運を
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第13回:リニューアル一周年を迎えて 2008.8.17 べるず 記

 おかげさまでマリカ飯店は、リニューアルしてから8月9日で1周年を迎えることが出来ました。会員各位にはより一層のご支援・ご活動を願うところであります。
 思えば、飯店凍結状態を解除し、リニューアルしてスタートしたのは2007年8月9日のことでした。それから会員が急激に増えたわけではありませんが、熱心な活動を行う新会員・TATSUさんなどの更新報告は、飯店を運営していく上でとても励みになります。パカ設置店はこの1年間で減少の一途(特に地方都市)でありますが、引き続き護持丹精に勤めていただきたく存じます。
 また、今年6月には念願であったマリカ飯店本の第2弾「MZ」を発行することも出来ました。前回よりもゲスト寄稿は少ないものの、飯店外部からの玉稿を頂くことが出来ました。また、オフセット印刷による本格的な同人誌として製作したため、完成品を手にしたShinオーナー猊下は大変感激しておりました。
 「光陰矢のごとし」という諺がありますが、1年という月日は長いようで短く、短いようで長いものです。私自身も1年前との比較をしてみたのですが、「何か成長するものがあっただろうか?」と疑問に思うばかりでありました。とはいえ、そのように疑問を抱くようになったということが、変わったところと言えるかもしれませんが。そしてそれをどうやって解決していけばいいかを考えることが大切なのでしょう。パカも同じことで、たとえばBurn on to Karie譜面が全然できない、なんだこの譜面は!と思うのは簡単なことです。ですが、それをどうやれば少しでも%が上がるだろうか?ということを考えることが出来る人ほど、成長が早いと思いますし、高い%で「もういいや」とあぐらをかいている者よりも尊いと言えましょう。現実に、高い%を出してさらに続けようとする人というのは、並々ならぬ努力の成果と研究の上に成り立っている存在なのです。
 来たる来年の夏までに、今の自分からどれだけ変わったことが発見できるか、挑戦してみてください。
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第12回:昼夜常精進 2008.7.13 べるず 記

 私が勤めているお寺は札幌市内でも閑静な山の中にあります。自然に囲まれ、風致地区でもあるために周囲は住宅も無いエリアです。ここに私の師父が入寺したのは今から15年くらい前のことになります。この当時は堂宇がかなり老朽化しており、この寺は当初無くなる予定だったそうです。が、「お寺をつぶすのは簡単なことだけれども、作ることは大変なんだよ」というそれまで代理住職を務めていたS上人の一言で継続を決意したと言われております。ある行事のときに100人近いお檀家さんが詰めかけ、床に異変が起きたこともあり、師父はこのお寺の建て替えを決意したのであります。土地名義の登記移転も昭和28年から手付かずであったことが判明し、到底無理だと思われていた遺族(相続権を有する方)全員からの合意を取り付けました。次から次へと不思議をみせられ成就されて今に至るのですが、人との出会い、そしてその人から受ける恩によって生かされてきたという思いの中、感謝の生活をされてきた結果ではないかと思うのであります。よき縁によってよき人々に巡り会えたと言いますが、それもこれも諸仏諸天、仏法三宝へのお給仕があったればこそとの思いがあるでしょう。
 大きなことを成し遂げることは、一朝一夕には出来ません。少しずつの努力精進が実って事がなるのだと思います。人間は自分ひとりでは生きていけないのです。家族の協力、仲間の助け、先師先輩の教導、外護して下さる方、応援してくださる方の力があってこその人間として生きる今日があるのだと思います。今日になるまでに私たちは計り知れない多くの力が働いているのでしょうが、何よりも自らとその支えになる人の昼夜常精進の努力が一番だったと思います。
 各々が互いに精進することによって、パカ界は発展していくのだと思います。
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第11回:オンリーイベント 2008.6.22 べるず 記

 先に行われたパカパカ&ぱるメロ!イベント「PUSH ON the PERFECT!!2」にマリカ飯店として参加させていただきました。多数のご来場に感謝するとともに、当会発行の同人誌のお買い求めもいただきまして、誠にありがとうございました。当日Shinオーナー猊下は不在でしたが、筆者としおん事務局員にて販売を行いました。また、この時には飯店入会の手続きを行った方もいらっしゃいました。今回はその時の話です。
 これまで彼は「今までパカパカのサイトはROM専門で、こうしてパカラーさんと交流を持つのは初めてです」と言いました。その彼が最初に訪問したのが、当会のスペースでした。これを機に交流をもちたいいうことで入会をしてくださったのです。幸いにも筆者のサイトもよくご覧いただいていた方ですので、話も通しやすかったのを覚えています。
 そして即売会終了後のパカ大会に、彼はエントリーをしていました。彼にとって、これが大会のデビューでもありました。大会には最初から参加するつもりだったそうですが、その時はパカ2による勝負でした。しかしその前日まで練習のためにプレイしていたのはパカSPであって、パカ2のプレイ経験が乏しいという彼は不安そうでした。さらに彼を不安にさせたのは、同じブロックの対戦者の中にパカ2全国一と名高い凄腕パカラー・風呂さんの名前があったのです。不安の色を隠せない彼を見た筆者は、一言だけアドバイスをしました。
 「イベントですから、楽しんでプレイしましょう!」
この一言で気が楽になったのか、その後の風呂さんとの対戦で勝利するという快挙を成し遂げ、場内が大きな歓声に包まれました。ここにまた一人、記憶に残るパカラーの誕生の瞬間でありました。その彼の名前は「しゅそ」さん。これからの飯店の大きな力になってくださるであろう方が加わったのです。私たちもまた、彼から学ぶことが多いと思います。
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第10回:信行道場 2008.5.29 べるず 記

 私事ですが、4月15日より私は宗門の結界修行「信行道場」に入っておりました。宗門の教師になるためには必ず修めなければいけない35日間の修行であり、僧侶の基礎を学ぶところでもあります。宗門では年に3回開催され、私は「第一期」に入場いたしました。第二期は8月に、尼僧さんの特別道場は5月末から行われます。入場者も年齢・学歴は実に様々で、年齢も20代から最高齢は71歳、中学卒業から大学院修了までと様々、中にはオペラ歌手や現役のお医者さん、整体師の方もいらっしゃいました。夏の道場と異なり、春は現役の学生は少なく社会経験のある年配者が多いのが特徴ですが、今年は特にそのような印象を受けました。寺に生まれ会社勤めをしていたものの住職が高齢になり(あるいは遷化され)その後継ぎとなるためにという事情、在家出身でどなたかの弟子となり僧侶への道を志した人、この年齢からでは大変だと思われる方もいました。60歳を超えていようと、残りの人生を有意義なものとして、そこに真なる生きがいを求める人。年齢も学歴も関係なく、肩書きも地位も必要なく、バブル崩壊後「心の時代」と言われるこれからの世の中に、どのように生きたならばよいだろうかと問うた結果、この道を選んだ人もいたはずです。無事に35日間を修了してもすぐに活躍できるわけではありませんが、ある師僧さんは「あと10年かけて育成していく」とも仰っておりました。
 
 これからの飯店(に限らず、パカ界全体)が良くなるも悪くなるも、パカラーの育成にかかっていると思います。師の影を見て弟子は育つとは言いますが、当てはめるならば、先輩パカラーが後から出てきたパカラーのお手本になるということであります。逆に、教えるという事だけでなく、誰もが互いに磨き合い、たとえ上級者と称される人でも謙虚な姿勢で精進すべきだと思います。
 来月にはいよいよ待望のオンリーイベント「PUSH ON the PERFECT!!2」が開催されます。その記念すべき時に、私達はパカラーとして生きているのです。良きパカラーの育成とパカ界のため、努力したいと思います。

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第9回:楽しみ 2008.4.1 べるず 記

 ある人に「べるずさんは、パカをしている時が一番幸せそうですね」と言われた事があります。確かに、パカをプレイしているときは幸せだと思います。昔、北海道でも僻地に住んでいた時期はまったくパカをプレイする事が出来ず(この当時はまだぱるメロも知らなかった)、それまで首都圏で仕事をしていたためにパカに恵まれた時期から一変した頃は、ストレスも感じた事があります。加えて私の元の妻はパカに対して徐々に辛く当たるようになり、執拗なまでにやめさせようという感じでした。普段であれば何か他の楽しい事を見つけようとしていた自分ですが、それすらもできない状態が続きました。心に不満があったり、健康でなければ何をやっても楽しくないんだなぁと思ったものです。心に余裕があって健康であって時間があれば何をしても楽しいものですが、心配事があったりすると精神的に面白くありません。世の中に楽しい事はたくさんありますが、その基準はまちまちです。
 私がパカと出会う前は、ちょっとマイナーなゲームが大好きでした。それは今でも変わりませんが、当時の行きつけの店以外ではなかなか遊べなかった記憶があります。今はそれらのゲーム基板も多数所有しておりますが、若い頃を考えると夢のようです。坊さんが遊ぶ事に執着してはいけないのでしょうが、毎日少しでも何らかの形での遊びと言うのを楽しみにしています。
 「人間は遊ぶ存在である(ホモ・ルーデンス)」というオランダの学者ヨハン・ホイジンガの定義は大手ゲームメーカー・ナムコの基本理念ですが、ただ単に遊ぶのではなく、その中に楽しみながら学ぶということが大切だと思います。いろいろな遊びを楽しいと思える心、感謝の気持ち、健康な身体、そしてよく働いた後の遊びは格別です。たとえ最新の遊びでなくともいいと思います。あるいは仲間同士が集まって和気藹々の中で会話が弾み、楽しく過ごす時間もまた、一番の遊びといえるでありましょう。

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第8回:ケータイ 2008.3.14 べるず 記

 最近、相次いで携帯電話業界への新規参入が相次ぎ、かつてはNTTドコモの独断場であった携帯電話業界も様相を変え、過激な生き残りをかけているようです。CMイメージや新機種、新料金プランなど各社様々な智慧を絞り、顧客獲得へしのぎを削っています。私の周囲でも次の携帯機種をあのメーカーにする、この機種に…といった話を耳にします。
 私が学生時代、携帯電話はようやく一般化したというレベルでありました。当時はまだポケットベルの全盛期で、固定電話・公衆電話以外のものでは「自動車電話」(ここから今の携帯が派生した)、簡易携帯としてPHSが流行した頃でした。まだ通信料金も高く、携帯を持つことは私にとっては夢のまた夢でした。札幌の大学に通っていた頃、当時のサークルの部長は携帯電話を所有していました。いつの日か、自分も持つ日が来るのかなと思いつつ、当時はそれほど「急いで持たねば!」という思いは弱かったのを覚えています。
 やがて大学を卒業し、最初の職場で働く段階で「携帯を所有してもらいたい」という上司からの依頼で、携帯を所有することになりました。当時ドコモショップでP208ローズという機種が盛んにTVでのCMで宣伝されていまして、コツコツ貯めたお金でその機種を購入しようと思いましたが、思いとどまってその一つ下のランクであるP207を手に入れました。それまでそうした機器を持ち歩く習慣が無かった為に、何度も家に忘れたまま外出したものでした。
 それから何度、携帯を買い換えたことでしょう。現在、私はソフトバンクモバイルの911SHという機種を使っております。2007年4月に身延山から帰ってきたときに、それまで所有していた機種V602SHが2年経過しておりましたので機種変更をしたのです。しかし僧道実修生の間は携帯の所持が禁止されていたため、V602SHを使っていたのは1年弱であります。
 それから僅か1年の間に、911SHの後継機種が何台も発表されました。買い替えのことを聞かれると「いつでも買えるけど、当分は911SHで頑張るよ」と言っております。ワンセグ機能もついており、デジカメ機能を使って電車の撮影もよく行っております。矢継ぎ早に出る新作もいいかもしれませんが、ひとつのものを長く大切に扱う心も必要ではないでしょうか。
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第7回:受験 2008.2.14 べるず 記

 この時期、受験合格の祈願が多くなります。私は昨年総本山にいましたが、ほぼ毎日のように祈願の読み上げでは「○○大学 入試合格…」という願いが目立ちます。境内にある絵馬もそうでした。本人達も夢中でしょうが、親御さん達はそれ以上に熱心です。有名校に進学できれば、将来の幸せは決まったようなものだと考えているのかもしれません。はたまた。母親がご主人にかけていた期待を子供達にかけかえるのでしょうか…。少子化が進む中、受験も少しは楽になっているのでしょうが、当事者にとっては一大事であることに変わりないのは、今も昔も同じです。
 私も一時期、受験の夢を見ました。合格発表の掲示板に名前がなく、がっかりしている夢です。何度も受験に失敗したためでしょうか。当時は将来のことまで考えておらず、目的もなく、どこでもいいから入ればいいやというような考え方でした。試験終了後はおろか、試験の前日までゲームセンターに通っておりました。最後の最後で受験したある私立大学に合格し、そのまま入学することにしました。
 その大学は二部制で、一部は他大学と同じなのですが、二部は俗に言う「夜間部」でした。私のような若い人間から、公務員・社会人・主婦など、様々な人間が勉強をするために、午後6時の講義に合わせて大学に集まるのです。私の入学する前年の秋に大学のキャンパス内に地下鉄の駅が開通したため、利便性も向上したことも功を奏し、多くの学生が通うようになったのです。クラス分けもありましたが、私の所属するクラスは65歳のマッサージ師の方から、会社役員、看護婦、公務員などそうそうたる顔ぶれで、その中には私の高校時代の先輩もいました。私は誕生日の関係もあって最年少でありました。
 昨年はその大学の同級生達との飲み会にも参加しました、卒業以来の顔合わせで、実に8年ぶりの再会となりました。それぞれの変わりように互いに驚くのもまた、同窓会の楽しみと言えるでしょう。何よりも、多角的な人間関係を持つことが出来て、様々な人との出会いを持てた出身大学の卒業生であることを、今でも誇りに思っております。
 私達がパカにいそしむ時も、ただ画面の譜面やキャラとだけと向き合うのではなく、パカラー同士と向き合う関係も大切にしたいものです。
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第6回:新年の計 2008.1.13 べるず 記

 マリカ飯店より、謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
 平成20年の正月を向かえ、元旦に一年の計を立てられた方も多いのではないでしょうか。今年は○○をする!という目標を立てた人も多いことでありましょう。その中で「今年は怒らない様にしよう」と誓った人もいるのではないでしょうか。今日は「怒り」のお話です。
 怒りは修行の妨げ、という考えが仏道にあります。怒りのあるうちは仏様に近づけない、というのです。合掌礼拝行というのがありますが、全ての人を敬うなどということは至難の業だと思います。あえてそれを勧めるのが修行なのでしょう。私は昨年の正月三が日は身延山にいましたが、境内は大変な賑わいでした。私は臨時駐車場と臨時バス停を結ぶシャトルバスに乗務していましたが、中には駐車場からバスに乗る不便を強いられてイライラした人もいました。境内ではいつまで待たせるんだと言い、待った挙句にお札を受け取るのが遅くなったという人もいました。また、お札の字が違う、交通安全の車体番号が違うと怒る人もいます。何のための参拝、何のための信仰なんだろうと思うのですが、それは我々に教えてくれている姿なのだろうと思います。仏道修行では怒りを無くすことが修行の根本といいますが、我々は毎日の様に怒っています。それも些細なことにです。これではいつまでたっても仏のような人格になれそうにありません。釈尊も怒らないことがいかに難しいことかを知って、あえて不軽菩薩の修行「合掌礼拝」を取り上げたのでしょう。人間は「我」が強く、自尊心・慢心を抱きます。それらを無くす修行が「合掌礼拝」ではないでしょうか。誰に対しても合掌礼拝が出来るようになることが大事なのだと思います。その心になったとき、その人は変わると思います。人が変われば組織も家庭も変わります。職場の和、家庭の和…和がいかに大事であるかを知らされます。
 正月にそのようなことを考えたのですが、自分の心の中には人を謗り、悪口をいい、馬鹿にし、怒ると言う心が同居しています。いつになったら仏のような人格を持つ人間になれるのやら。今年こそはと思い続けているうちに臨終を迎えるような気がします。「真心は尊きものとひれ伏して宇宙全てを拝む日の来る」、一人一人が互いの心に合掌し、尊敬しあう心が生まれることを願っております。
 本年もマリカ飯店より、皆様のご利用お待ち申し上げます。
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第5回:心の整理 2007.12.10 べるず 記

 師走に入り、寒さも一層厳しきなってまいりました。お元気にお過ごしですか。
 さて、本日がパカパカパッション登場キャラ「プリカ」のプロフィール上の誕生日に当たり、今年の終わりも迫ってまいりました。2008年をあっという間に迎えることになります。この時期、各家庭や職場などでは大掃除が行われていることでしょう。いろいろと整理をしていかなければいけません。これは物事だけではなくて、パソコンなどのデータなどにも言えることではないでしょうか。
 私のパソコンのDドライブの中には数多くのフォルダがありますが、その中にはほとんどアクセスしていないフォルダもあります、何を収納しているのかといえば、携帯で撮影した過去の画像を削除せずに保存しておく為のものから、不要になったファイルなどを削除せずに大事に保存するためのものもあります。物を大事にすることは大切なことですが、削除するのがもったいないといつまでもとっておくための収納場所を用意するのもどうかと思います。頂いた画像から使いもしないであろう画像やテキストまでなんでもかんでも突っ込んであります。いつか暇になったら整理する予定なのですが、そのままです。
 人間はいつ“お迎え”が来るかわからないのです。今年は私の祖父がお盆に亡くなりましたし、友人にも数名身内に不幸がありました。「臨終ただ今にあり」の精神で生きてこられたのなら慌てることも無いのでしょうが、突然の死である場合、とても身の回りの整理など出来ていなかったことでしょう。毎年毎年どんどんたまっていく品々、それをどう整理していくかという問題と、何よりも心の整理が大事だと思います。あれもこれもとやりたいことは山ほどあり、いつまでも生きていられるような気がして、まだまだ大丈夫と思いながらも人は臨終に近づいております。
 大切なことは何か、今すぐにやることは何なのか。整理する心と、時には捨てる勇気も必要であると思います。さっそく私も雑多なファイルの数々の名前を修正して、旧態依然のように整頓しなければなりません…。
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第4回:更新事情 2007.11.13 べるず 記

 Percentage Attackというサイトがあります。文字通りの%(パーセント)への挑戦(Attack)であります。かつては連日有名パカラーを初めとして全国のパカラーさん達がしのぎを削っていたものでした。ところが昨今は更新の度合いも減り、様変わりしてきています。マリカ飯店も例外ではありませんが、それでも全国各地のパカラーさん(会員)が更新の報告を行ってくださいます。それらの方々の報告を見ますと、本当に努力の結晶であり、おめでとうございますという気持ちになります。
 パカパカパッションスペシャル以後続編の無かったパカシリーズの補完的立場としての「ぱるメロ!」の登場以来、次から次へと登場する難譜面の功も奏してか、マリカ譜面を上手に弾きこなす方も増えてまいりましたが、上達したいという気持ちが無ければ、更新は出来ないのだと思います。お金はあっても時間はあっても、気持ちが無ければ本当の更新は出来ないと思います。%の更新は技術だけではなく、心の持ち方であり、自分自身の心の持ち方で更新にもなり、下落にもなるのでしょう。
 私事で恐縮ですが、ホームであったヴィクトリアの閉店後は、真駒内のピーズ&キューズでパカをしております。平素は送迎もあり、時間的制約もありますので、この店にいける時が唯一の楽しみです。お金も一気には使えないので、わずかなチャンスをものにするような気持ちで日々プレイをしているわけです。それが功を奏してか、長年の壁であったパカ2のハイスコア200万点も達成できました。
 上達への道を歩む為には、指先手先の技術以上に、心の持ち方を見直したいものです。
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第3回:恩 2007.10.12 べるず 記

 知恩報恩という言葉があります。受けた恩を知って、恩に報いるということは大事なことであります。恩にもいろいろあり、すべての恩に報いることが出来れば良いのですが、ことに私が僧籍を置く宗門では、特に師恩に対しての恩が及びます。お祖師さんが遥か房総の方を仰いで、亡き師匠・ご両親から受けた恩に対して深く感謝したからです。自分自身はどうなのかと振り返ると、父母は健在ですが迷惑かけてばかりで、孝養らしいことも出来ずにおります。私の師匠は父親に当たるのですが、全くと言っていいほど恩返しは出来ておりません。

 パカ界に携わってからも、多くの人にお世話になりました。私にパカを教えてくれたのは、かつて行きつけだったゲームセンター「澄川キャロットハウス」によく出入りしていた方でした。また、現在のようにパカのネット界で本格的に活動するきっかけを用意してくださったのは、詰人(当時のHN:陸)さんでありました。

 そして現在まで、このマリカ飯店ではShinオーナー猊下にある意味ではお給仕、サポートを務めさせていただきました。年が近いこともあり、早いうちから意気投合し、飯店内でも高く使っていただきました。会員勧誘や「マリカたんゼィゼィ」の新キャッチフレーズのPRの為に共に各サイトへ挨拶回りも行い、世間が広くなった気が致しました。2007年7月には4年越しの出会いを果たし、共に西宮タロフォフォのパカ大会に参加しました。考えてみますと、有名な人物の側に仕えさせていただけたお蔭がどれほど大きなものか、今、知らされています(これは私のオリキャラ「麻美様」でも同じことが言えますが)。僧侶の世界では修行の中で「給仕」が第一と言いますが、お給仕できたことをありがたいと思います。

 周囲の人や、好ましく思わない方の中には、ごますりのうまい奴とでも思われることでしょう。しかし、ごますりでこれだけの期間重宝されて、サイト管理を任されるものでしょうか。

 多くの方から受けた恩に対し、いつ恩返しできるかはわかりませんが、忘れることなく精進したいと思います。いよいよ季節は秋から冬に向かおうとしております。季節柄、御身大切にくださいませ。
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第2回:残暑に思う 2007.09.04 べるず 記

 9月に入り、暑さが一段落ついた地域もあれば、まだまだ残暑厳しき地域もある昨今、いかがお過ごしですか。更新報告、確かに拝受つかまつりました。
 さて、前回多少触れましたが、現況のパカネット界について少々お話をさせていただきたく存じます。そもそもパカパカパッション関連のサイトはゲームのデビューと同時に多数設置され、そのうち選ばれたサイトは、開発元・プロデュースとの相互リンクをを行うなど、メーカーとファンが一体化した独特の世界を築き上げました。やがてプロデュースの営業停止となるとやや下火になるものの、引き続き活動は行われ、それは「ぱるメロ!」の誕生など、新たな方向性を導き出すのであります。
 ご指摘のように、サイト活動ならびに普段のパカ活動を熱心に行う者の一方に、これを行わない者、またはサイトや団体を主催しても中途で投げ出す者があり、それに対する何らの救済・支援がないことも、確かに改善の要があります。
 しかしながら、パカ活動とは「パカパカパッションに関わるものが、すべからく行うべき勤め」なのであります。それは、ゲームだけに留まりません。設置店のない区域に居住するものでも、サントラ・イラスト・ぱるメロなど、思いつく限り・できる限りの行動をすることが肝心なのであります。さらには、当会におきましてはマリカ中心のスタイルを堅持することを第一とし、Shinオーナー猊下をはじめ、それは自己の心の発露として、自主的に行うべきものであります。
 ご心配のように、近年のパカラー、パカ設置店の減少傾向は顕著で、パカラー自身の形態の変化もあり、下火になってきている事実は慙愧に堪えません。
 それだけに、Shinオーナー猊下率いるマリカ飯店の存在はより重要であるのです。
 これからもパカラーの皆様の活動をさらに助け、大いにパカ活動に奨励してまいりますので、皆様方に置かれましてはより一層の心の増進をお計り下さいますよう、ご期待を申し上げます。
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第1回:就任のご挨拶 2007.08.09 べるず 記

 まだまだ厳しい暑さが続いていますが、お変わりなくお過ごしですか。

 さて、私事、先頃、Shinオーナー猊下より飯店総務の大任を命ぜられ、2007年8月9日より就任いたしました。

 もとより、浅学非才、薄徳垢重の未熟者、総務の大任を務めるような器ではありませんが、一意専心、皆様のために力を尽くす所存でありますので、何卒宜しくご指導ご鞭撻を賜りますよう、先ずもってお願いする次第でございます。

 すでに、ご承知のようにこの「マリカ飯店」は、2002年よりオープンし、マリカ好きのパカラー達の憩いの場として、そしてパカの灯を守護するところでもあります。
 当初、別サイトのマリカFCに所属しておられましたShinオーナー猊下は、サイトの更新停止を確認するや否や、引継ぎのように自らが「マリカ飯店」を立ち上げたのであります。
 しかし、年来のご苦労、寄る仕事の波そして厳しい労務環境に由来するオーナー猊下の生活は、やがて自サイト「Paca-Shin」の更新停止状態までに発展してしまいました。2006年4月からは1年間私も離脱を余儀なくされ、同年に飯店は更新凍結状態となりました。
 そして2007年4月に私がパカ界に復帰し、今後の運営のあり方について幾度となく意見の交換がなされ、そして2007年7月8日のトップ会談で運営の継続を決定し、様々な案件についてもオーナー猊下の承認が得られた為、新サイトの構築を始め、そして今日に至っているのであります。

 私始め飯店事務局員一同、あらためてパカパカパッションという偉大なる音楽ゲームに思いをいたし、またマリカの魅力を損なうことなきサイトの運営に赤誠を傾ける所存でありますので、何卒お力添えを賜りますようお願いをを申し上げまして、飯店総務就任並びにマリカ飯店リニューアルオープンのご挨拶とさせて頂きます。
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